県知事選挙

今行われている知事選挙について、このポティカでどの程度話題になるかと期待を込めて注視しているが、案の定というか予想通り?というか誰も話題としない。話題に値しないのは、これまでと同じお粗末な内容と手法でマンネリ化しており、ちょっと大げさに言うと、世界が我が国がいよいよ未曾有の厳しい時代を迎えようとしているのに、現実から遊離しているような「田舎の猿芝居」が始まった程度の冷めた見方が県民にあるのではないだろうかと思っている。

私自身鹿児島出身者ということもあるし、また幸い?にも今年はNHKのドラマで、鹿児島と密接に関係のある人々の、「時代が変わる」時の懸命な生き方が演じられており、選挙民に、宮崎県知事の言葉ではないが「どげんかせにゃいかん」の機運が高まり、これまでとは異なり画期的な「郷土再生」のための選挙戦になるのではと期待していたのだが。

私の失望の始まりは、候補者の「マニュフェスト」?やらを見た瞬間から始まった。
相も変わらず「選挙スローガン」の羅列に過ぎず、行政が当然行うべき政策や施行事項が総花的に並べられているだけであり、よく言われるところの「項目は落とさないが、しかし実施・施行の言質は与えない官僚文」である。誰でも何時でも書ける、作成者の存在を特定できない、およそマニュフェストに値しない駄文と言える。もっとも、候補者の出身を視れば無理もないが。

少なくとも、今の鹿児島を考えるなら、1兆6千億円の県負債や、毎年の予算の赤字問題(今年度でも157億円不足)、借金生活解消のための見直すべき改革や産業の育成などについて、必要な予算と時間を示し、県民に何を要請するか、の生々しい切り口を示してこそ、立候補者の責任あるマニュフェストと言えるのだが。

橋本大阪府知事のような候補者はいないのか!
あの篤姫の時代と違って、今の鹿児島には人材はいないのか!
大阪府の現実は明日の鹿児島なのに!

 
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日本人の体半分は胃袋か

つい昨年末、任期満了で退職するまで、出張や赴任駐在併せて50数カ国で仕事をしたが、もう今ではアフリカの一部を除いてテレビの無い国は無くなったと思います。新聞の無い国は結構ありますが。但し、日本のNHKのように「皆様のテレビ」等と称して、視聴料金を取る国は少数だと思いますし、コマーシャルの無い局も無かったのでは。

 さて、そのコマーシャルですが、日本の大特徴は「飲食物」の宣伝が圧倒的に多いことです。いやいや、テレビコマーシャルどころか、番組やブログ、通販雑誌、折込紙まで、ありとあらゆる通信手段を使って「さあ食え、さあ飲め」の状態であり、これが食料自給率40%弱の国とは信じられないほどです。世界の漁獲量の大半を、わずか世界人口の2%弱の1民族が消費する国柄を良く表している状態にあると思います。

 一体何時頃から、このように「国柄の品格の無い、卑しい日本」になったのでしょうか?若い娘がグラスならまだしも、空を仰いでビール缶から直にグビグビ飲む姿を、今の若い人たちは「かっこいい」と思うのでしょうか。日本の常識は世界の非常識の典型的な例だと思います。「飲み食い」の場面や内容を世間に対し控えめにし、余り話題にもしない、が日本の常識だった「奥ゆかしさ」は既に私達の日本からは遠い昔になったのでしょうか。

 どうも私達の今は、いまやっと食物が満足に手に入る、生物の生存の第一歩の状態なのかもしれません。一体何時になれば「衣食足りて礼節を知る」国になるのでしょうか。

 私達が良く知っているように、今や食料は重要な戦略物質であり、遠からずして、あの終戦後のような「金があっても買えない」状態になることは火を見るより明らかです。その危機的状態が早ければ10年もすれば到来することはみんなが理解しながら、実に年間1,800万トンもの食料廃棄(現在世界で飢餓状態にある20億人が必要とする3年分!)を繰り返していることをご存知ですか?食糧輸入大国がその一方でこの大量の廃棄処分!事は食料のみならず、作物の生産、加工、輸送で膨大な環境汚染をも含みながらです。

 近い将来、私達が生きるために最小限必要とする食料を輸入しょうとする際、このような過去が重大な障害になることは十分考えられます。今一度、コマーシャルや廃棄処分を考え直し、今のうちに禍根を断つべきではないでしょうか。

 
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高齢者の社会貢献を提案します

 概算ですが、我が国の総人口は約1億2,800万人であり、60歳以上のいわゆる高齢者は3,670万人で28.7%、3人に1人弱ですが、選挙権がある20歳以上の人口との比では36%となります。国会議員数を720人とした場合、260人以上の議員を選べる一大勢力です。選挙制度の問題があり、単純にこのようにはなりませんが、新聞やテレビで行われている支持政党調査のどの政党より大きな勢力であることは事実です。これほどの力を有効に使わず眠らせておくのは実に「もったいない」と思います。いよいよ生き難くなってきた世界・日本をより良く変える為に力を結集することを提案したいと思います。

 これまで私達老人(我が国では社会通念上60歳以上は老人でした)は、子や孫との3世代同居(戦後は祖父母を加えた4世代)が普通であり、60歳になると「隠居」し次の世代にゆだねることで社会は回ってきました。勿論この間にも当然ながら様々な問題はありましたが、戦後の奇跡と言われた高度経済成長期があったおかげで、問題を先送りにしても国の政策が行き詰る(破綻する)ことを免れてきました。しかしながら今はもう私達が良く理解しているように土壇場、崖っぷちに来ており、いよいよ本格的に国のあらゆる部分を見直す時期です。待った無しです。人に例えるならば、人間ドッグ検査をしなくても症状が現れている状態です。

 余りに問題が山積しているため、どれから手を付ければよいか最善手は簡単ではありません。またその人の生活している環境、年齢、境遇などからも優先順序の違いが出るでしょうから、いざ見直そうとしても「総論賛成各論反対」になってしまうことは容易に想像できます。従って私は、直近の問題に関してはこれからの世代に任せ、私達老人はもう少し長いスパンでの基本的な問題に関して考え、行動し、孫子に貢献する事柄を提案したいと思います。私の提案は次の内容です。

 1.公務員制度改革(国家及び地方公務員)
 2.地方分権改革

いずれも官僚及び議員に関する内容です。
何故なら、この両者は私達のあらゆる生活の場面に密接に関係しており、社会の仕組に関する最大の要因だからです。私は、先ずこの改革が中央・地方を問わず適正に行われない限り、我が国は抜本的な制度改革にならず、今世紀の早い時期にどの国より早く地球上から消滅するのではないかと心から危惧しています。

 さて、高齢者の力をどのように今後の日本のために結集するのか、どう生かすのか、政治や大衆運動に全く疎い身では方法が今は思いつきません。最終的には地方政治・国政の場に議員を送るしかないでしょうが、その日が一日でも早いことを心から希望している毎日です。

 
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大相撲が終わった

琴欧州の優勝で大相撲が終わった。いよいよ「国技」の看板を下ろす時期に来ている。
ここしばらく2人の横綱の優勝が続いており、その状態を指して、私は「蒙古大相撲日本場所」と呼んでいたが、そこに琴欧州が加わったことで今後は「国際大相撲日本場所」と呼ぶことにする。もともと物の良し悪しをを省みず舶来物に弱い国民だし、世は経済を初めとするグローバル化の世界だから、この趨勢は時の流れそのものなのだろう。

国技と言う言葉を冠した競技が廃れるのを止める手立てとして「外国籍力士」を認める際に、今後国技との意味をどのように扱うかは協議されたであろうが、他の補助金を貰う公益法人や財団と同様に、広く納税者の理解を得る努力は無しで時の関係者間で決定したものだろう。

ま、それは今更どうでもよい。それより現状を観ると、今後日本人の中から横綱が出ることは米粒の中にダイヤを探すより難しい状態である。特に、大関陣の「ていたらく」は目を覆う惨状で「昔96今87」そのままである。ごく一時の勢い・調子で階級を上り、後は8勝すればその地位を守れるとは余りに安易な地位保全制度だと思う。大相撲については様々な改革が求められているが、先ず、大関陣の「2場所負け越し制度」の特権を廃止するか、2場所特権を残すなら残留条件を10勝に引き上げるべきである。

改善は先ず上位に厳しく、が成功の原則であり、そのような改革がなされてこそ大相撲の再生が期待できると信じている。

 
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後期高齢者医療制度の疑問

標記の実施に伴い様々な問題点が浮き彫りになり、野党は廃止(以前に戻す)、政府与党は一部手直しで乗り切ろうとしている。しかしながら、一連の報道をみる限りでは医療保険に関しては(高齢者の医療に限っても)、野党が主張する以前の制度に関しても問題があると思うし、ましてや、政府与党の一部手直しは論外だと思う。

わが国の医療保険制度を検討するには、先ず何は置いても現在の医療保険の現状と将来予測を国民が納得する内容で示すべきである。この点の開示に対する努力が不足していると思う。我々庶民でもライフプラン(生活設計)をたてる際には、考えられる現在と将来の家族構成と必要とする支出と財源のバランスを計るのは当然である。

厚労省は、将来(平成25年度)必要とする高齢者の医療費を11兆円(?)と推定しているようだがこれらの根拠となる資料が国民に十分開示されているようには思えない。

次に、新制度においても、国民(後期高齢者)が負担する割合は10%であり、以前と変らないという。では何故負担増になると騒いでいるかと言うと、そこには2点の内容があるように思う。1点は新制度により仕組が変ったことのようだ。言わずもだが、以前の仕組よりは「より良き方向」の仕組でない限り国民に受け入れられないことは自明であり、もしそうなら、国民に丁寧な説明が必要である。

さて、私が問題と考えているのはもう1点のほうで、これまでの仕組には、地方によっては自治体より様々な「補助」があり、負担する割合が軽減されていたことだ。ある地方は患者が保険に定める負担金全額を払い、ある場所ではその一部を支払っていたことになる。これは国家が制定した制度の運営に関しては納得できることではないと思う。

本人の意志に係わらず国民皆保険として強制的に加入していることを抜きにしても、国民の義務と権利は同負担・同権利で受取るのが当然であり、住む場所によって、国家機関の出先と言えるような地方自治体により受益に差が出ることは、公的保険の精神に反しているはずだ。

以前に戻すことでも不十分と言うのはこの点であり、この不平等を含めた見直しがない限り、健全な保険とは言えない。繰り返しになるが、旧制度と新制度の「実体」を明確にし、負担と給付(医療サービス)を議論しなければ、この問題の真の解決は望めないだろう。


 
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消費者庁の創設とその素案

「国民の視点に立った政治」を標榜する福田内閣の目玉政策である消費者庁の素案が、政府の消費者行政推進会議より提示された。今後更に関係者間の調整を行い、最終案は6月、政府は法案として今秋の臨時国会に提出する予定とのことである。
骨子として新聞紙上に示された内容は、縦割り行政の弊害排除のために関係省庁間を横断的にまとめる内容であり、やっと本格的な、消費者の目線に立った行政の有り方が示されたと思う。

この素案がまとめられる段階で、権益を奪われる省庁の抵抗を初め様々な困難が予想されるが、総理を初め与野党を超えた国会議員は、文字通りの「選良」として実現に努力してもらいたいものだ。特に民主党は間違っても与党に対する政策として振る舞う事がないようにする必要がある。この件と公務員改革の課題は、今国会議員全員に対して実施される「議員としての資質」検査のリトマス試験紙であるとの自覚を持ってもらいたい。

最後に、ぜひ法案に含めてもらいたい内容がある。
現在の法律では、「犯罪発生後」でないと、明らかに消費者の不利益 ・悲劇が予想される商行為(例えば、大掛かりな高配当がうたい文句の会員募集などの詐欺商法)などは、消費者庁への「申請制度」を取り入れたり、実行段階でのチェック(金融庁の行う銀行検査などと同様なもの)と警告指導、犯罪になった場合は通常の詐欺罪以上の刑罰等々、予防と後始末までの明快な道筋を示してもらいたい。

現在は犯罪発生(法律上)まで殆ど「野放し」状態であるし、不良住宅建設や改築にみられる結局消費者が「泣きをみる」悪徳商法が余りに多すぎる。

 
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鯨肉の横領問題

 グリーンピース・ジャパンによる、日本の調査捕鯨船「日新丸」の乗組員が鯨肉を横領したとの問題に対し、船舶会社は水産庁に横領ではないと報告したらしい。約24キロの肉は「お土産」として支給されたものである、とのことらしい。乗組員が何名かは知らないが、支給は全員になされただろうし、それも今回が初めてではなく長い期間の慣行だろうと思う。歯切れの悪い書き方なのは、朝日(新聞)以外は大きなニュースとして扱わないため、1庶民には情報が十分でないためである。

 調査捕鯨に関しては、国際的に微妙な問題であること、グリーンピース・アメリカなどによる調査妨害などで、日本国民周知の「国際問題」であることは自明である。従って、調査捕鯨を実施している我が国としては国民に対し、この方策がいかに当を得たものであるかを知らしめ、その根拠となる内容を広く周知するぐらいの努力が必要であるが、役人根性というか隠蔽体質はここでも発揮され、関係官庁を除けば「利害関係」のあるごく一部の国民が理解しているぐらいだろうと思う。

 また、情報の開示には、調査の趣旨に加え、頭数、調査後の肉の処理なども開示する必要のあることは当選である。(或いは私だけが不勉強で知らないだけかもしれない)

 今度の問題は、これらの事とは直接には関係がないかも知れないが、水産庁が調査を依頼している民間会社との契約に鯨肉の一部が含まれており、それの一部が会社から社員(乗組員)に土産として支給されているならグリーンピース・ジャパンが告発するのか疑問に思える。もしそうでないなら、今回の問題は水産庁、会社ぐるみの公共財産横領であることは常識だと思う。いやしくも国策で行われる施策の材料が「意味不明のお土産」として関係者間で取り扱われることは、量の多寡を問わず問題である。

 それにしても、「役人の世界」とは余程の「完全密閉の城塞」だと思う。
今ほど役人が叩かれている時代はないように思うが(年金、医療保険の厚生省、道路の国交省、海難事故の防衛省などなど)、普通ならば、これらを他山の石として総点検するぐらいの態度が必要だと思う。国民からのチェックがないと何も変わらないらしい。自浄が利かない組織は腐敗することがどうして分からないのだろうか。

 

 
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議を言うな

 郷里鹿児島を離れて40年余、様々な事があったが一応曲がりなりにも今は老妻と二人の年金暮らし、可も無し不可も無しの平凡な暮らしである。ま、これで良しとするか。上を見ても下を見てもきりの無いことだし。
 昨日渋谷で挙行された「鹿児島小原祭り」を初めて観たが(仕事柄国外が多くこれまで機会が無かった)、その時このブログサイトを知る機会を得て、さっそく今日からお世話になっている。まだ現役気分が抜けきらない身ではあるが、時間だけはたっぷりある。ボケ防止を兼ねてせいぜい楽しみたいし、議も言いたい。

 今はIT時代、情報過多も極まれりである。それに引き換え昔の鹿児島は「議を言うな」が日常茶飯事であった。
よく父母には言われたものである。「なんという封建的な親だろう」と、授業や本で知りつつあった「外の世界」と比べて身の不幸を嘆き、一時も早く郷里を出て新しい世界で生きることを望む毎日であったように思う。

 あれから幾星霜、その頃の親を超えた年になり、多少は「言葉の意味」を知るようになっている今改めて思い出してみると、どうも封建的と表面だけを取った解釈では十分じゃないと思うようになっている。

 育ったのは鹿児島も在のほうで、役場職員、農協さん、駐在さん、坊さん、学校の先生を除くと月給取りがいない農村であった。牛と馬と家族を貴重な労働力とする生産方式で、子供でも小学時代から朝は牛馬の餌となる草刈
を初め、放課後や春夏休みも含め一年中家を手伝うのが普通であった。「議を言う暇が無い」日常であった。勿論塾などもないし、夕食を済ますともう眠くなり朝は6時には起こされるのが日常であった。

 そう、「議を言うな」は察するところ、人間がそれこそ寸暇を惜しんで世話をする必要のあった当時の農業に大きな原因があり、あれこれ理屈を捏ねて手を動かさないでいると、植え時や刈入れ時をずれ結局収穫を失うとの「諌め」が込められているのではなかろうかと、今は「善意」に解釈できるようになっている。
勿論、男子の本懐は「不言実行」、事に望んで決したなら「口引き結び・・・」の意味合いもあることは言うまでもない。

 
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