議を言うな

 郷里鹿児島を離れて40年余、様々な事があったが一応曲がりなりにも今は老妻と二人の年金暮らし、可も無し不可も無しの平凡な暮らしである。ま、これで良しとするか。上を見ても下を見てもきりの無いことだし。
 昨日渋谷で挙行された「鹿児島小原祭り」を初めて観たが(仕事柄国外が多くこれまで機会が無かった)、その時このブログサイトを知る機会を得て、さっそく今日からお世話になっている。まだ現役気分が抜けきらない身ではあるが、時間だけはたっぷりある。ボケ防止を兼ねてせいぜい楽しみたいし、議も言いたい。

 今はIT時代、情報過多も極まれりである。それに引き換え昔の鹿児島は「議を言うな」が日常茶飯事であった。
よく父母には言われたものである。「なんという封建的な親だろう」と、授業や本で知りつつあった「外の世界」と比べて身の不幸を嘆き、一時も早く郷里を出て新しい世界で生きることを望む毎日であったように思う。

 あれから幾星霜、その頃の親を超えた年になり、多少は「言葉の意味」を知るようになっている今改めて思い出してみると、どうも封建的と表面だけを取った解釈では十分じゃないと思うようになっている。

 育ったのは鹿児島も在のほうで、役場職員、農協さん、駐在さん、坊さん、学校の先生を除くと月給取りがいない農村であった。牛と馬と家族を貴重な労働力とする生産方式で、子供でも小学時代から朝は牛馬の餌となる草刈
を初め、放課後や春夏休みも含め一年中家を手伝うのが普通であった。「議を言う暇が無い」日常であった。勿論塾などもないし、夕食を済ますともう眠くなり朝は6時には起こされるのが日常であった。

 そう、「議を言うな」は察するところ、人間がそれこそ寸暇を惜しんで世話をする必要のあった当時の農業に大きな原因があり、あれこれ理屈を捏ねて手を動かさないでいると、植え時や刈入れ時をずれ結局収穫を失うとの「諌め」が込められているのではなかろうかと、今は「善意」に解釈できるようになっている。
勿論、男子の本懐は「不言実行」、事に望んで決したなら「口引き結び・・・」の意味合いもあることは言うまでもない。

 
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